おいしい料理とうれしい料理


今朝、ほんとうに唐突に、

キャベツとソーセージのソース炒め

が食べたくなって、作りました。


この料理は、よく母が作ってくれた料理で、思い出すと突然食べたくなる不思議な逸品です。


作り方は簡単。

  1. キャベツを2〜3cm角にカット
  2. ソーセージを5mm
  3. 両方炒める
    1. キャベツしんなりしてからソーセージ入れるのがいいかな
  4. ソースをどばどばっと入れる
  5. 完成!

っとここで、ちょっと悩みました。

ひょっとして、塩こしょう効かせた方が美味いかも?


しかし、記憶の中のこの料理は、塩こしょうは効いてません。
子どもに配慮した母の気遣いでしょうか。


懐かしくて作ったので、記憶の中の味が目的だったので、まずはそのまま一口。
ん〜。懐かしい。作ってよかった。(1)


そして、塩こしょうを効かせます。
うむ。美味い。心なしか、記憶の中の味よりも美味い。
うむ。ワシも成長したよのう。(2)


あれ。


確かに、(1)よりも(2)の方が美味かったのだが、(1)の方が嬉しいぞ。


よくよく比較しても、(1)が勝つ。


でも、推測だが多分、初めて食べる人は(2)の方が美味いと言うだろう。


今回私は、(1)と(2)をわかりやすく、(2)の方が味はいいと表現してみたが、もしもどっちがよかった?とかどっちがおいしかった?とか漠然と効かれたら、反射的に(1)と答えてしまいそうでした。


つまり、その人が高い点数をつける対象は、その人が持っている背景に影響されるので、絶対的なものではない、ということなのかなあと。
これって、人が判断するもの全てですよね。


逆に人に高い点数をつけてもらおうと思ったら、その人の背景まで配慮したプレゼンを要求される、ということになるのかと。
これは大変だ。
人を評価するとかされるとかも、同じことですよね。



コミュニケーションって難しいと、一人で思いましたとさ。