おいしい料理とうれしい料理
今朝、ほんとうに唐突に、
キャベツとソーセージのソース炒め
が食べたくなって、作りました。
この料理は、よく母が作ってくれた料理で、思い出すと突然食べたくなる不思議な逸品です。
作り方は簡単。
- キャベツを2〜3cm角にカット
- ソーセージを5mm
- 両方炒める
- キャベツしんなりしてからソーセージ入れるのがいいかな
- ソースをどばどばっと入れる
- 完成!
っとここで、ちょっと悩みました。
ひょっとして、塩こしょう効かせた方が美味いかも?
しかし、記憶の中のこの料理は、塩こしょうは効いてません。
子どもに配慮した母の気遣いでしょうか。
懐かしくて作ったので、記憶の中の味が目的だったので、まずはそのまま一口。
ん〜。懐かしい。作ってよかった。(1)
そして、塩こしょうを効かせます。
うむ。美味い。心なしか、記憶の中の味よりも美味い。
うむ。ワシも成長したよのう。(2)
あれ。
確かに、(1)よりも(2)の方が美味かったのだが、(1)の方が嬉しいぞ。
よくよく比較しても、(1)が勝つ。
でも、推測だが多分、初めて食べる人は(2)の方が美味いと言うだろう。
今回私は、(1)と(2)をわかりやすく、(2)の方が味はいいと表現してみたが、もしもどっちがよかった?とかどっちがおいしかった?とか漠然と効かれたら、反射的に(1)と答えてしまいそうでした。
つまり、その人が高い点数をつける対象は、その人が持っている背景に影響されるので、絶対的なものではない、ということなのかなあと。
これって、人が判断するもの全てですよね。
逆に人に高い点数をつけてもらおうと思ったら、その人の背景まで配慮したプレゼンを要求される、ということになるのかと。
これは大変だ。
人を評価するとかされるとかも、同じことですよね。
コミュニケーションって難しいと、一人で思いましたとさ。